ナウシカに学ぶオステオパシーのスティルネス

前回、患者も術者も症状に集中してしまうと、そこに巻き込まれ拡大してしまうということを書きました。

 

 

 

オステオパシーは症状と戦いません。

その例を私の大好きな漫画でとても良い表現がされていたので紹介します。

 

 

 

 

 

それは、漫画版の「風の谷のナウシカ」です。

 

 

映画でナウシカを見たことがある方はたくさんいると思いますが、しっかりと漫画版を読まれたことがある方は意外と少ないのではないでしょうか。

映画は漫画版の1~2巻を映画用にまとめたもので、そこから先の話がとても壮大で、過酷な状況でありながらも、人間の泥臭さや愚かさ、生命の神秘・美しさが巧みに表現されています。

 

 

なぜ火の7日間が起きたのか。なぜ腐海が生まれたのか。生命とは。王蟲の意志は。

その真実を知った時に、人間は何を選択するのか。

 

 

 

 

 

実はこの漫画、私は一度中学生の時に読もうとしたのですが、難しくて全然理解が出来なかったです。

その後、大学生にふとした時に読んでみると、みるみるその魅力に取りつかれ、夢中になって読みふけったのを覚えています。

 

 

 

 

 

そんなナウシカの第4巻での話です。

 

蟲の大群が迫っている中、クシャナ殿下は憎んでいる兄によって、窮地に立たされます。

 

 

兄は船で逃げ出す中、クシャナ殿下とその部隊は蟲の大群が迫る村に取り残されます。

しかし、逃げ出した実の兄は蟲の大群によってあっという間にクシャナ殿下の目の前で飛行機ごと破壊されます。

その光景を見て、クシャナ殿下は唖然とします。

 

自分の命を賭してでも構わないと思っていたあの兄がいとも簡単に殺されるなんて、、、

 

 

部下の声のもと、命からがら逃げだし、壕に身を丸めます。

顔を上げるとすぐ上では蟲の大群とそれに襲われる人々の凄惨な光景が広がっています。

 

 

目の前に蟲が現れます。

 

「お前が私の死か」

「ずいぶんあっけなくあいつを殺してくれたではないか」

 

ととても涼しげな優しい顔で蟲を見ます。

 

 

蟲はクシャナ殿下を襲わずに飛び立ちます。

クシャナ殿下はその時に、悠然と子守唄を謳っていました。

 

顔を上げるとすぐ上では惨状が広がっているのに。

そばにいた傷を負って動けない部下は「冗談じゃねぇ、こんな時に」と驚きを隠せませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

このシーンはとても印象的です。

 

 

 

このシーンとオステオパシーのバイオダイナミクスの施術はとても似ていると感じています。

 

身体を触れていると、慌ただしく身体が動き出します。(筋膜の捻じれが巻き戻されている反応かもしれません。)

あるポイントに行くと、次第に身体が落ち着き、静寂が訪れます。

そこから治療が始まります。

 

 

この時、術者は患者さんの悪い部分を凝視したり、治そうなんて思ったりはしません。

それをしてしまうと、いつまで経っても身体が落ち着かないからです。

 

 

 

ただ、ただ、そこにいて、待ち、観察しています。

 

 

 

痛みを感じている部分があるから、そこをマッサージや何かをしてしまうなど痛い部分に集中してしまうことは、

蟲の大群に身を投じることと変わりません。それは術者・患者問わずです。

 

蟲の大群に身を投じたらどうなるでしょう。

例えば、痛い部分があって、そこを揉んだり押したり伸ばしたりしても、気になるばかりで悪化することがほとんどでしょう。

 

 

 

 

人間の脳や神経、自律神経系は無理やりコントロールできるものではありません。

それこそ蟲の性質になんとなく似ているかもしれませんね。

 

 

他の療法は蟲の大群に対して攻撃をして鎮めようとする方法です。(特に対症療法は)

伝統的なオステオパシーは攻撃することはしません。症状とは戦いません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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